家事チキンレース

こんばんは。かたかなです。

 

共働き夫婦の永遠の課題。

家事の分担。

 

上手くいっている夫婦は明確に役割を決めていると聞きます。実際、その方が良いと思います。

 

気付いた方がやるとか、できる人がするとか。

そういう相手の善意任せだと、必ず片方に皺寄せがくると思います。

(以下私の経験)

 

よく気が付く方、要領の良い方、綺麗好きな方・・・。

そういう特性のある夫婦のどちらかが、家事の多くに関わることになることでしょう。家事アンテナが立っている人、とでも言いましょうか。

 

そしてしんどいのはここから。

「あれ、自分の負担が多くなっているな」と感じても、決してもう片方に強要してはいけないのです。

 

なぜなら、そのお願いは「モラハラ」になり得るから。

 

して欲しいことを命令ではなくお願いになるよう細心の注意を払って伝えたとしても、受け取り方は100%相手次第。

 

・部屋が汚くても気にならない

・洗い物がたまっても使う時に洗えばいい

・食事はコンビニ弁当や出前でもいい

 

こう思っている人に対し、部屋を綺麗にしても、洗い物を片付けても、料理を作っても「こだわりを持って好きでやっている自己満行為」としか受け取られず、そもそもの家事分担が機能しません。

 

だって、相手にとって必要のないことを私が勝手にしているだけ過ぎないのですから。

 

したがって、感謝なんて存在しません。

 

しかもこの状態は、第三者に言っても共感され難いです。ありのままを話しても「大らかな人で良いじゃない」と一掃されて終わることがほとんどでした。その「大らかさ」に救われている部分もあるでしょ?というメッセージだと思います。

 

大らかという言葉があまり好きじゃなくなったのはこの時くらいからですね。そりゃ、大らかと言われて嫌な気持ちにはなりませんよね。

 

でも家事って誰かがやらないといけないことなんです。家事代行サービスを頼んでいるわけじゃないなら、家族の誰かが。

 

じゃあ話し合おう

ということで分担を提案しても細かすぎると言われ、自分の許容を下げて、譲歩したとて、「気にしないレベル」の下限は無限に更新され続ける。

 

お願い事は下手に。どんな出来でも「すごいわ~ありがとう」とほめたたえよ。口調は常に安めぐみであれ。少しでも感情を出したら「そんな言い方だとする気にならない」とのこと。そんな言い方をする私は心が狭くて神経質だそうで。

 

大らかな人ってどんな人?優しい人?ずぼらな人?

「家を清潔にしたい」という私の気持ちは尊重されない?

 

こんなチキンレースは早めに降りて、割り切ってワンオペ家事です。その方が家の衛生も精神衛生も保たれる。

 

そして話し合いのできない関係性になったら、汚すばかりの大きい子どもと「亭主元気で留守がいい」の爆誕です。

 

 

 

以上、経験でした。

 

家事は共同生活初めの頃にきっぱり平等に分担しとくことをお勧めします。そうしないと、「できるからやっちゃう」という人は気付かないうちに負担が増えて、後戻りできなくなりますよ。

 

もしやり直せるなら、自分でなんでも片付けてしまう独善的なとこを直して、甘え上手な人になりたい。

 

と思うかたかなでした。

 

ではまた。ばいびー。