妥協の難しさ

私はどうも「言い過ぎ」てしまうらしいです。

 

喧嘩したときも余計な一言や嫌味があったり、普段の生活でも朝起きたら「お水飲んだ?」「歯磨きした?」といちいち言ってしまいます。

 

がみがみ口うるさいと捉えられても仕方ありません。

しかしながら、喧嘩のときはともかく、普段の声掛けは愛ゆえにというところがありました。

 

朝起きて最初に水を飲んだ方が体に良い、ということを知っているから、相手の体調を気遣って言っているつもりだったのです。

 

そんななか、そうやって私が言ったことを相手がやらなかったとき、イライラしてしまう自分に気が付きました。

 

胸に手を当て、怒ってしまう理由を探してみると「相手が自分の好意を受け取らなかったからだ」ということが分かりました。私は私の愛を受け取ってほしかったんだ。

 

しかし、相手にも「できない理由」があったかもしれない。それを考えずに一方的に怒るのはナンセンス。すれ違いが起きてしまいそう。

 

相手がやらなかった状況をみるようにしよう。あと、「〇〇するからできない」と理由を言ってもらえるよう相手に働きかけよう。

 

これで自分の感情をうまく処理できそうだ!

 

 

・・・と今までは思っていたのですが、今回はもっと違った視点で見つめ直してみました。

 

私は単純に自分の言うことを相手が聞かないから怒っているのではないか。

相手が自分の思い通りの言動をしなかったのが不愉快だったのではないか。

 

愛だなんだと体の良い言葉を並べましたが、シンプルに客観的にみると、私は相手をコントロールしようとしているように見えます。

 

私はあなたのために言っているのだ。それをしてくれ。そしてそれができないというのなら私の要望に匹敵するほどの理由を述べろ。ということではないか。

 

振り返ってみれば、私は「譲歩と確執の塩梅が極端だ」ということに気が付きました。

 

自分が拘っていないところについては100%譲歩。「いいね」「すごい」と気持ちの良い言葉をかけ相手の気分を良くさせます。

 

反対に、自分が拘っているところについては、半分も思い通りにいかないとイラっとしてしまします。

 

そこに自分の怒りの感情を根本的に解決するヒントがありました。

 

譲るときは惜しげもなく譲っているので、私は妥協ができていると思い込んでいました。重要なのはそこではなく、「思い通りにいかないことがあると機嫌が悪くなる」という部分なのです。

 

そして冒頭でも触れた「言い過ぎ」に繋がります。私は自分の思い通りにしたいから「言い過ぎ」てしまうのです。

 

自分の健康法について相手も同じようにしてほしいので、がみがみと生活スタイルについて口を出し、相手が思ったように動かないとイライラする。喧嘩のときは、相手の言い分に自分の言い分の爪痕を少しでも残したいので余計な一言や嫌味を言ってしまう。自分の思いの丈を込めたマシンガンです。

 

これは直したい。自分も相手も苦しい。

 

人と付き合っていくにはある程度妥協が必要です。妥協とは対立している双方が納得する答えを見つけてまとめること。折り合いをつけること。

 

しかし私の0か100(譲歩か確執か)のような妥協では本当の意味での妥協とは言えません。

 

それに、私の目指す誠実さともかけ離れます。特に人生のパートナーとして話し合える関係に大切なのは、「ふたりの答え」を出すこと。意見を言い合った先は白か黒かではなく混ざり合ったグレー。相手に染まる自分に染めるではなくふたりだけのオリジナルの色。

 

私の今のわがままな妥協では長く良い関係を築くのは難しいです。

それと同じくらい自分の怒りの感情のコントロールは難しいです。

 

直すべき点について見つけることができたのは大きな進歩でした。愛があるから何でも言ってしまうのは仕方がない、と言い訳せず、できるだけ50-50(五分五分)を目指した話し合いを心がけたいと思います。

 

ではまた。ばいびー。